jittodesign blog

デザインやグラフィックソフト、カメラなどに関するブログです。

言語思考だけで、世の中つまらなくなりませんか

約5分

製品開発であったり、広告であったり、アプリ開発であったり、デザインだったり、日々いろいろなものが作られていき、そういうモノづくりに携わる人の教育に関わっているわけですが、ここ何年もずっと引っかかってきたことがあります。

最初の「アイデア=思いつき」っていうのは、何もないところから思いつくことはないわけで、覚えていなくても過去の経験から思い出されるものです。人の記憶は曖昧ですから、同じ経験でも人によって全く違ったカタチで思い出されたり、後の経験がその前の経験を歪めてたりといろいろでしょう。そういった意味では思いつきっていうのは人それぞれの個性があるのかもしれません。

それでも、最初に思いついたモノは既にあるモノです。デザイナーの方々や美術の教育では、その思いつきをラフスケッチにして、そこからもう少しここをこうしたらとか、こういう考え方もあるなぁとか、ラフスケッチを何十、何百と展開しながら試行錯誤していきます。それはなかなかコトバにすることができない造形の中の試行錯誤です。本当にこのカタチしかないのか、他の色ではダメなのか、材質の特性上制作に無理がないか、使うときの動作やサイズ感に問題はないか、さまざまな思考を巡らせながら、そしてひたすら描きながら考えていきます。描いては比べて、どう観えるのかを観察し、時には戻って別の視点からやり直し、描いた中に面白い造形がないかを見つけよう観察します。訓練ともいえるこのような作業を繰り返すことで、ほんの僅かな造形の機微を見つけられるようになっていきます。その造形の機微はとてもコトバに表せるものではありません。
他の人が作られた作品を観た時に、どう思考して作られていったかを辿ることも鑑賞する上での楽しみでもあります。優れた人はある視点から完成形をすぐに見いだせたり、作られたものからそこまでの思考を辿ることもできるでしょう。造形思考はそういった繰り返しの中で新しいものを生み出そうとするものです。

私は美大も出ていませんし、どちらかと言うと理系の勉強をしてきた人間で、最初の頃はデザインは理詰めで解決すれば良いと思っていました。いまだに絵も上手くは描けませんが、描く練習をしてこなかっただけだし、人に伝わる程度に描ければ良いと思っていました。

そんな私が10年以上前に美大の先生に出会い、良くしていただきながら一緒に仕事をしています。美大での授業も手伝わせて頂き、おんぶに抱っこでしたが何とかデザインの教鞭に立たせていただいています。ここに書かせてもらっていることも、多くがその方との会話の話しです。

必ずとは言いませんが、造形の世界では「他と同じ」ということは「悪」です。私にしか作れないものを一生かけて探しています。広告もデザインも本質的には同じで他と同じでは見てももらえません。こちらの世界には馬鹿に見えたり、風変わりだったり、とっつきづらかったり感じる方が多いですが、それもこれも他と違うモノを生み出すために身に着けている術なのです。そうじゃなく可怪しい方もおりますが…。言ってることが抽象的で何を言っているか分からない。ちゃんとエビデンスを示して説明して。気持ちはわかりますが、そもそも根本が違うのです。

言語思考の方々と違うといっても、「学」が無いということではありません。造形に勤しむ方たちはあなた達と違う方向性で学び、極めてきているのです。私もここまできてやっと少し分かってきたことです。

もちろん全てが造形発想で解決するわけではありませんが、マーケティングに関わる方、エンジニアの方、プログラマーの方々にお願いがあります。自分が分からないことをダメなことだと決めつけないでほしい。造形に勤しみ、訓練を続けてきた者にはあなた方に理解してもらえるように言語化することができないこともあります。美しいは数値化も言語化も上手くできませんが、美しいだけでとても価値のあるものです。造形に勤しむ者も言語化して理解してもらえるように努力する必要がありますが、それが本業ではありません。この方たちは、目で、手で、空気で、必死に考えております。

アクセシビリティ、ユーザビリティも結構ですが、美しいはそれらを超越することがあります。カッコいいけど使いづらいとダメだよねと言われますが、それはカッコよくはなかったということです。

論理や数値は的確な答えを生み出します。しかし人間は論理や数値だけでは行動しません。とても馬鹿げて見えることが圧倒的に問題を解決することが往々にしてあります。道端で泣いている子供を笑顔にする方法は一つではありません。

上手い線を描くにはある程度時間を掛ければいいですが、凄い線を描くとなると一生かけても描けない人も居ますし、圧倒的な凄い線を描いて周りをため息で埋め尽くす者もおります。凄い線がお金になるとは限りませんので、諦める必要はないのですが、それでも絶望を周りに与えることになります。

結局、わたしも極めた者ではないので、思っている断片を書き出しただけの文章になってしまいました。

私もマーケティングも教えておりますし、プログラミングもかじりますので、論理的なことも大好きです。美しさとか、造形的なことにはあまり興味がなかった私が、片隅からその世界を覗いてきたなかで今感じていることでした。

言語発想と造形発想は同じく必要なものです。しかし現状をみていると、あまりにも言語的、論理的なことこそが正義だという空気を感じてしまいます。もっと自分が理解できないことに寛大であっていいのではないでしょうか。

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